長岡市と長岡花火財団は22日、長岡まつり大花火大会を予定通り8月2、3日に開催すると発表しました。
これにより3年ぶりに開催が正式決定となります。
いやぁ~~~~楽しみですね!
どんな盛り上がりを見せるのでしょう。
と、いうことで長岡まつりのパンフレットから長岡まつり大花火大会を探ってみましょう。
頭上で開く大輪の華、
その光は長岡の復興・平和の象徴
100万人が心を奮わす長岡の夏の代名詞
広大な信濃川河川敷で繰り広げられる大花火大会
長岡まつりのはじまり
昭和20年8月1日午後10時30分。 長岡の市街地にB29大型爆撃機が来襲しました。 爆撃は1時間40分間にも渡り、 市街地の約8割が焼きつくされ、 燃え盛る炎の中に1,480余名の尊い命が失われました。
長岡空襲から1年後の昭和21年8月1日に開催されたのが、 長岡まつりの前身の「長岡復興祭」 です。 この祭りは長岡市民の心を慰め、 まちを復興へと奮起するものとなり、これが「長岡まつり」と名前を変え、現在に至っています。
歴史と伝統の長岡花火
長岡の花火大会は、 明治12年千手町八幡様の祭りで350発の花火を打ち上げたのが始まりとされています。
その後、 長岡花火の技術の向上や新しい花火の開発が進み、大正6年には二尺玉、15年には正三尺玉が登場。 昭和の初期には長岡花火は全国に広く知られるようになりました。 しかし、太平洋戦争が始まると花火大会は中止に。
そして、花火大会は昭和22年の 「長岡復興祭」で空襲の犠牲者への慰霊と復興に立ち上がる人々を勇気づけるため復活。 昭和26年には「長岡まつり」と名称を改め、正三尺玉の打ち上げを復活しました。
長岡花火には長岡空襲で亡くなった方への慰霊、 復興に尽力された先人への感謝恒久平和への願いなど、 長岡市民の特別な想いが込められています。
慰霊と平和への願い
長岡市では、8月1日は、 長岡空襲で犠牲になられた方々を悼み、 戦争の記憶を風化させることなく、 平和の尊さを次代に伝え、広く世界に向けて発信する「恒久平和の日」。
この願いを込めた行事を市内各所で行っています。
長岡まつりを華やかにスタートする1日の「前夜祭」 は、 平成30年から 「平和祭」へと・名称を変更し、市民の恒久平和への願いを伝えていきます。