こしじの郷

こしじの巨匠、中静静山先生が残してくれたもの

日本画家、中静静山(中静喜一)先生と生前(2019年11月没)からお付き合いがあり様々なお話しをさせていただきました。

その中でブログに残しておきたいというお話しをさせていただきご了解を得ていたので今回の記事にさせていただきます。

中静静山先生について

中静静山先生(本名、中静喜一)は、日本水墨院の理事もつとめられた著名な日本画家で政府から叙勲表彰されたお方です。

旧越路町岩塚生まれで17歳(昭和22年)で国鉄(現JR)に入られ国鉄マンとして働きながら趣味の絵を学び地元の来迎寺駅駅長をされたと伺っています。

勤務の傍ら愛用のCanonのフィルムカメラを持参しこしじの現風景を中心に撮影。大きく引き伸ばした画像を見ながら絵を楽しまれたそうです。

その中から私が戴いた絵を中心に残したいと思います。

こしじのご年配の方にとっては懐かしい画像などもあるかもしれませんね。お楽しみにどうぞ。

越路の郷

静山先生は、ご自身の描いた絵を越路支所をはじめ様々なところに寄付されています。

長岡市役所越路支所ホールには特大の絵が飾られています。また中央町内会館にも同じように町内の方が目にしやすいように寄付されています。(現在は撤去)

新潟味のれん本舗さんのギャラリー、お菓子のパッケージなどにも使われたりと。。現在は変わっているかも?

特に越路支所の絵は圧巻でした。行かれた際にはぜひ目にとめていただければと思います。

こしじの郷 「ホタル」

静山先生が生前、絵を書きだした頃のもの1枚は私の自宅に飾ってありますが、越路の郷のモデルとなった「蛍」をご紹介。

巴ヶ丘自然公園にてホタルを撮影したものです。

越路の郷のホタルの原形になった一枚です。

絵はがき 越路 四季のぬくもり

「越路の四季のぬくもり」として絵はがきのデザインにも利用されています。また写真付き切手として(企画制作 越路町役場)販売されたようです。

さよなら魚沼線

かつては信越本線・魚沼線・越後交通長岡線の3路線が接続する交通の要衝でしたが、現在は信越本線のみが乗り入れています。

魚沼線とは

魚沼線は、日本国有鉄道が運営していた、新潟県三島郡越路町の来迎寺駅から同県小千谷市の西小千谷駅に至る鉄道路線である。 1980年の日本国有鉄道経営再建促進特別措置法施行に伴い、翌年9月に第1次特定地方交通線に指定され、1984年4月1日に全線が廃止された。
 ウィキペディア

魚沼線は1984年3月末をもって廃止され最終日には臨時列車も走り来迎寺駅では華やかにセレモニーが開かれました。

当時の新潟日報、読売などの全国紙にも取り上げられ当時の来迎寺駅駅長だった中静さんは感慨深そうに新聞記事をもとにお話ししてくださいました。

当時の記念切符、アルバムの中は入場券(実物は現在も私の手元に残っています)

片貝駅:実はこれにはエピソードがあるようで、片貝駅の花火が本来の片貝花火の絵ではなく長岡花火じゃないか!というクレームが勃発し後に急遽差し替えられたらしいです。

西小千谷駅:山古志の牛の角突き、錦鯉、小千谷縮み(おぢやちぢみ)をデザイン

来迎寺駅:駅前の柳観音をデザイン

さよなら魚沼線 式典

式典は昭和59年3月31日(土)、来迎寺駅魚沼線ホーム上

12時40分から最終列車13時10発(魚沼線5963D列車見送り)まで

当時の関係者様:越路町町長~平石金次郎、実行委員長~深井徹司、来迎寺駅駅長~中静喜一(敬称略)の連名で各方面の方々に案内状が送付されています。

そして、来迎寺駅国鉄魚沼線の専用ホーム0番線で最後のセレモニーが開催され魚沼線72年の使命を終えました。

「老兵は消えゆくのみ」なのでしょうか?

さよなら魚沼線に関する新聞記事から

順不同で掲載させていただきます。

▼右上は来迎寺駅駅長執務室。挨拶をする中静駅長。

▼懐かしい魚沼線の車両です。各方面のメディアの皆さんの追っかけ。

▼最終列車を送る中静駅長。列車は超満員だったそうです。全国の鉄道ファンも多かったとか!?

▼地元の越路中学校のブラスバンドの皆さんによる演奏

▼サインを求められる中静駅長。

▼▼地元の子どもから乗務員に花束贈呈(左は中静駅長)。

最後に・・・まとめ

魚沼線最後の日、私は小学校の1年生でほとんどこの行事に記憶はありませんが静山先生が越路に残したものはあまりにも大きいものだったのではないでしょうか。

奥様に先立たれ以降はおひとりでの生活。お話し相手に呼ばれたりしていましが昨年施設にて旅立たれました。

静山先生には謹んでお悔やみ申し上げます。

また、私の手元にはまだ紹介しきれていない資料もありますが一旦これで終わりにしたいと思います。

長岡市は全国的に「長岡大花火大会」を中心に知られていますが「こしじ地区」はまだまだこれから。

これからも少しでも「こしじの魅力」を発信していきたいと思います。

ではでは~また。