こしじの郷

来迎寺駅前の「柳観音堂」の謎めいた歴史を紐解く

こんにちは

信越本線「来迎寺駅」はまさに越路の郷のメイン駅だ。かつて魚沼線、越後交通長岡線が乗り入れられまさに交通の要でした。

時代の流れにのり、魚沼線と越後交通長岡線は廃止に。。唯一信越本線が今でもサラリーマン、学生など通勤通客などの利用が多く現在の駅舎は2016年にリニューアルされた。

こしじの巨匠、中静静山先生が残してくれたもの日本画家、中静静山(中静喜一)先生と生前(2019年11月没)からお付き合いがあり様々なお話しをさせていただきました。 その中でブログ...

駅前には「来迎寺の案内板」も設置されている。

駅の脇には反対側の「白山地域」に行ける地下道も設置されています。

来迎寺駅前の「柳観音堂」の謎めいた歴史を紐解く

この記事を書くに当たり、様々なお方に歴史を聞いて回りましたが、詳細を得るに至りませんでした。

特に街の長老のお方にも知る人がおらず悪戦苦闘したのが実感です。先程、関連記事でご紹介した中静先生にも生前お聞きしましたがほとんど知らないということでした(汗)

そんなことでネットを頼りに調べてみました。

柳観音堂

JR来迎寺駅前広場にある柳観音は、かつて柳の老木の洞にあって柳観音といわれ、三島郡島崎村(旧和島村、現・越後線小島谷駅付近)妙徳寺に安置されていたが、霊夢ありお告げにより当地に安置されたようです。
観音像は王朝時代のものといわれている。毎年7月17日に地元民、講の人達によりお祭りが行われているそうです。
👉 新潟県ホームページ

👉 和島観光協会ホームページ

2022-07-23 追記 その後、わかったこと

柳観世音大菩薩由来記(やなぎかんぜおんだいぼさつ)

昭和11年10月、当時の朝日寺永井啼覚住職の夢知らせに「来迎寺駅前に行きたい」とのお告げにより三島郡和島村島崎の妙徳寺から、駅前に奉持し、柳の洞に安置し毎月供養の読経を篤志家が続けてきました。

この当時より来迎寺駅の所管で交通安全の守り本尊として管理してきました。
その後台風で柳の洞のところから折れたのですが、観音像は安泰であったことから不可思議なこととして尊敬の念が高まり信者が年々増加しました。

昭和25年町内の有志の方々が「駅の観音様にしておくのは惜しい」ということで柳観音講が設立され、各地の有志の方々から浄財を仰ぎ御堂を建立し、7月17日に入仏式を挙行して今日に至っております。以来毎月例祭を、7月1日には大祭が盛大に挙行されます。

観音像は、約千五百年前の推古天皇時代の作で(日本最古のもので準国宝級とも言われる)同一物が三体あり、うち二体は奈良と京都にそれぞれあって、残る一体が行方不明となっており、それと同一型のため、これではないかと言われ、過去に国立博物館に監定を願ったのですが目的は達成できませんでした。
(御堂建立に中心となられた桜井敏雄来迎寺駅長)

 

 

さいごに・・まとめ

色々調べつくしましたが、結局はここまでしかできませんでした。

引き続き情報を集める努力を重ねていきたいと思います。

どなたか知っている方がおられればお願いします。